俵山本田農園だより

地域の方に喜んで食べていただけるためのお米や野菜作りの記録です。「農家の知恵袋」「農家のレシピ」「地域のニュース」「メダカ」がお勧めです。

長門市の天然記念物「日吉神社のオガタマノキ巨樹群」です。

オガタマノキはモクレンの仲間で、招霊(おぎたま)から名付けられたという説があります。長門市の社叢に自生したり植えられたりしていることがあります。日置八幡宮のオガタマノキは、樹高がさほど高くないので、この時期、白くて香りの強い花を見ることができます。暖地性植物で、日本海側では北浦海岸が自生の北限とされています。

日吉神社のオガタマノキは解説板の通りですが、最も大きなもののうちの1本が枯死寸前です。

長門市旧油谷町には日吉神社が2か所あります。一か所は川尻にあり、もう一か所はここ角山です。川尻の日吉神社は川尻山王社とも称し、下関市豊北町滝部出身の烈婦登波の夫(幸吉)が宮番として勤めていた神社です。滝部八幡宮には、この烈婦登波の立派な石碑が立っています。碑文「討伐始末」は吉田松陰先生(以前教員として在住していた萩市では、吉田松陰を松陰先生と呼ぶのが当たり前なのです)が書かれています。

ある日、登波の夫の妹夫婦(まつ、枯木竜之進)の離縁話のもつれから、竜之進はまつと登波の父(甚兵衛)と弟(勇助)を殺害、幸吉にも重傷を負わせて逃げます。登波は、川尻の住居にいて無事でした。登波は幸吉が回復するまで4年間看病した後、仇である竜之進を追って11年間目に発見し、目明しに伝えて逮捕させます。竜之介は自殺、斬首、さらし首になったそうです。当時、宮番は最下級の地位にあるとされており、加えて女性の身で大変な苦労をして仇を討ったことが松陰先生の耳に入り、とても感心されて登波を家に呼ばれたことがあると聞いています。私は目にしたことはありませんが、旧豊北町の教育読本には、これらのことが記載されています。

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オガタマノキは、社殿の裏山に群生しています。

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左右にオガタマノキの大きな幹が写っています。